法然上人

1133年(長承2)、美作国(みまさかのくに)〔現在の岡山県〕のお生まれ。幼名勢至丸。9歳のとき、近くの豪族の夜襲により父・時国公を亡くしますが、瀕死の父からの「仇討ちは仇討ちを招く。出家して私の菩提を弔い、自らもさとりを求めよ」との遺言にしたがって出家し、仏道を志します。長年、比叡山に学びますが、高度な学問、厳しい修行が求められる教え方は万人に向くものではないと、だれもが救われる教えを求めて隠遁生活に入り、ひたすら経典をひもとく日々を送りました。そして1175年(承安5)、43歳のとき、「南無阿弥陀仏と心からとなえる者をひとり残らず極楽へ迎える」という、阿弥陀仏の教えに確信を得て浄土宗を開宗、東山吉水の地(現在の総本山知恩院の地)に庵(いおり)を構えてお念仏の教えを説き弘めました。1212年(建暦2)1月25日、80歳入滅されますが、その教えは弟子から弟子へ脈々と伝えられ、今日に至っています。

【浄土宗宗歌】法然上人作
「月かげの いたらぬさとは なけれど             ながむる人の 心にぞすむ」
<意訳>月の光のように阿弥陀さまのお慈悲の光明も照らさないところはないけれども、月を眺める人、阿弥陀さまのお慈悲に気づこうとする人にこそ、その輝きはすみ渡るのです。